大人になって読む『きらきらひかる』

江國香織『きらきらひかる』は、高校生の私にとって、お酒を飲むように、ちょっと背伸びして読む大人の小説だった。
夫婦の話を読む、というだけでもじゅうぶん大人の世界を覗いた感覚だったけど、アルコール依存で情緒不安定な妻と、ゲイの夫、その恋人の若い男の子、という三角関係は、絶賛恋愛未経験中のしがない女子学生にとってはまったく想像力の及ばない、ひやりとするような別世界。

文庫本の裏表紙に書いてあるあらすじには、「ホモ」と「アル中」という、最近ではあまり聞かない言葉が書かれていて刺激的だった。(いまは別の意味で刺激的だなあとおもうけど。)
笑子が義理の父にむかっていう、「私、セックスがそんなに好きじゃないですから」というせりふも、なんだかあけすけで大人っぽかったし、笑子は「アル中」だから、作中でもいっぱいお酒を飲む。アイリッシュ・ウィスキー、コアントロー、ジンとキュンメル。聞き慣れない言葉の響き。まだしらない味。
愛とか恋とかまだほんとうはぜんぜん実感がなくて、お酒に依存する気分というのもまったく想像しきれなかった頃に、せいいっぱいの背伸びをして覗き込んでて、それそのものがもう「きらきらひかって」いるような、そんな特別な小説だった。

で、27歳という設定の笑子と睦月の年齢をはるかに超えて、久々に手に取った『きらきらひかる』の感想は、ひとことでいうと「あ〜ファンタジック」でした。
昔読んでいたころは、睦月の優しさがとても魅力的でステキだったから、笑子の苦悩とか紺くんの気持ち、笑子の友人瑞穂の感じる苛立ちがあまり深刻に迫ってこなかった。なんといっても、笑子と睦月の両親がおろおろする場面のような、もっとも現実的なところがほとんど印象に残っていなくて、ほんとうに素直に、私は笑子と睦月と紺くんだけを見ていたんだなあと。
もちろん高校生のときだって、こんな結婚生活ありえない、ファンタジー、とどこかでわかってはいたけど、でもだからこそきらきらひかる感じがしてたんだとおもうし、いつまで経っても純粋な恋愛の延長線上にあるような、おままごとみたいな彼らの甘い生活が、とても魅力的でいとおしかった。

いまになって読んだら、うーんどうだろな、睦月には、優しさよりも残酷さをかんじてしまう。たしかに優しいし、ある意味では「誠実」なんだろうけれど、やっぱりちょっとすごい。身近にこんなひとがいて、それが好きな人だったらやっぱりこまるし、情緒不安定にもなりそうだ。
それに笑子もこわい。常識的な私のつまらなさなんてすぐさま見抜かれて、ばっさり切り捨てられて、きっと友だちになってもらえないとおもう。
高校生のとき、私は笑子の理解者だったし、たしかに、親しい友だちだったのに。

いまは笑子たちの両親の反応のほうが当然だということがだいぶわかってしまって、これが年を取るってことなのか...とおもうけど。でもその反面、笑子と睦月のあいだにある「愛情」も、前よりつよく感じることができたような気もする。体の関係はなくたって、ほかの誰とも代われない、人間どうしの愛はある、というような。夢物語ではあるけれど、ずいぶん崇高なものが描かれているんだなということに、気づくようになった。
それに、こんな状況下で睦月への「好き」という気持ちを貫き通す、笑子の果敢さにも気付いて、胸をうたれる。

現実の恋をしらないころ、もしかしたらこんな世界があるのかもしれない、という憧れだった夢の夫婦生活は、可愛くて美しいおとぎ話だな、という位置づけになったけど、胸をつかれるのはやっぱりおなじ。笑子の純粋さは、こうあれたら、でもこうはいられない、とおもう、アンビバレントなざわざわを私にもたらす。

 

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