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岩井俊二とスワロウテイル

私はもうすぐ40さいになるんですけど、人生の半分くらいまできたから、そのせいなのかなんなのか、この1年くらい、若い頃に夢中だったものをもう一度見てみたい、読んでみたい、というムーブメントが来ています。『きらきらひかる』「十二人の優しい日本人」もそのいっかんです(笑)。


そしてずっとずっと岩井俊二が見たいなあとおもっていたところ、なんとGYAOで「スワロウテイル」がやっていたのです! 20年ぶりくらいのスワロウテイル!

私が思うスワロウテイルの見どころは

 

1.壮大な法螺話感

架空の都市「円都(イエンタウン)」に暮らす、アンダーグラウンドでハングリーな移民「円盗(イエンタウン)」たち、という設定だけでなんだかもうすごい。殺された組員のお腹のなかから怪しいカセットテープが出てくるし、それをめぐって中国マフィアまで入り乱れての大乱闘。それとは別に存在する謎の凄腕スナイパーたち。
そして円盗たちの住んでるスラム街に、もうこれ絶対日本じゃない阿片街。ランドセルに偽札を詰め込む小学生たち。燃やされる札束。何がなんだか。

ツッコミどころもあるにはあるし、こういう絵がただ撮りたかったんだろうなーというのがうっすら感じられたりもするのですが、それもまた岩井俊二らしさ。大規模な悪ふざけ/壮大な法螺話を、大勢の大人たちが本気になって才能とお金をつぎ込んで実現させちゃったんだなあ!というところに、この映画の夢のような素晴らしさがある。

2. Charaが歌うシーン

吉本ばななの小説に、相手のフォトジェニックさを表現するのに、「Charaというひとに似ていた」と書いてあるところがありました。なんの作品だったかは忘れちゃったけど、すごいわかる!っておもったからよく覚えてる。もともとそんな雰囲気のCharaだけど、岩井俊二がオシャレ〜な感じに撮るから、本当になんていうかもう、芸術品の域です。
スワロウテイルではCharaがいっぱい歌います。バンド初結成時の、「マイウェイ」をうたうシーンはまるでミュージックビデオのよう。他にもライブのシーンとかもたくさんあって、ちょっとまあ、長いといえば長い気もするんですが、もともとMV撮っていた岩井さんらしく、カッコよくてしびれます。演技もふくめ独特な存在感があって、「女優じゃなさ」が絶妙。

3.少女アゲハの成長譚

グリコに拾われ、初めて名前をもらったアゲハ。大人になりかけの少女特有のたたずまいと、芯のつよさを感じさせる表情がとても魅力的な女の子です。グリコの恋人・フェイホンへのほのかな恋心は、自分でもそれと認識できてないのかもしれないけど。
冒頭でグリコに描いてもらった胸元の芋虫が、本物の蝶に変わるシーンは、通過儀礼としてのタトゥーというものをつよく感じさせて象徴的。不在のグリコに替わって、自分がフェイホンを助けようとする決意に泣けます。

4.音楽は夢

一財産をなし、買い取ったお店をキャバクラにすべきと言い張るグリコと不動産屋に対して、「そんな生活とはおさらばするんだ」と、ライブハウスを作ろうとするフェイホン。グリコの歌姫としての成功が、フェイホンにとっての夢なんですね。
円盗である彼らにとっての夢が、他の何でもなく音楽であるというのも、私がこの作品をすきな要素なんだとおもう。純粋で可愛い夢。
釈放された帰り道に、フェイホンがスワロウテイルの看板を見上げるシーンの美しさといったら。偽札でつかんだ夢のはかなさを象徴しているのかな。

ちなみに、フェイホンを演じている三上博史は奇跡のような美しさ。そしてどう見ても三上博史なんだけど、本当に、日本人にはまったく見えないのです。演技力!


岩井さんの映画は、その当時から、映像がきれいなだけ、雰囲気だけ、中身がない...などとよく揶揄されていたけれど、私はそれが全然意味わかんないとおもってた。今回ふたたび見てみて、もしかしたらそう感じるのかなとおもったけど、やっぱり内容がないとは思わなかったですね。
これで内容がないって言ったら、邦画のほとんどは内容ないのでは...←暴言。

私は昔から映画のグロいシーンがほんとうに苦手なのですが、それでも何度も繰り返し見たいとおもったのは、この映画がきちんと清濁併せのんでいると思ってたから。気持ち悪いシーンあってこそ際立つ、フェイホンの、グリコの、アゲハの夢の美しさ。
 

「ラブレター」からはじまり、「undo」「PicNic」「打ち上げ花火・・・」、「ルナティックラブ」にまでさかのぼって豊川悦司のヤバさに興奮し、「Ghost soup」のほんわかしたストーリーも可愛くて。もう何も手元には残っていないけど、こうして書いてるだけでときめいてしまいます、いまも。
そしてその集大成のように存在する「スワロウテイル」。
「むかしむかし、円が世界で一番強かった時代」という語りではじまるこんな作品、もう絶対この先作られることはないんだろうな〜と。
はじめて劇場で見たときは立ち見でした。映画館で立ち見っていまでもあるのかな?! 懐かしい思い出です!

 

JUGEMテーマ:映画

 

ジュルナル。4/9

パソコンをひらいても、なかなかブログにたどり着けない毎日でしたが、私は元気です。我が家も新生活がはじまりました。まだまだ漕ぎ出したばかりでふらふらしてる自転車のようですが、それでもまあなんとか。
4月から学校図書館の人として、本を携えて子どもたちのそばにいきます。

 

20代のときの私が、児童図書館にかかわりたいなとおもったきっかけの、聖書みたいな本。いろいろと思うところはあるけれど、ひとまずは、これを読んで気持ちをたかめていきたいなとおもっています。

 

JUGEMテーマ:日常

大人になって読む『きらきらひかる』

江國香織『きらきらひかる』は、高校生の私にとって、お酒を飲むように、ちょっと背伸びして読む大人の小説だった。
夫婦の話を読む、というだけでもじゅうぶん大人の世界を覗いた感覚だったけど、アルコール依存で情緒不安定な妻と、ゲイの夫、その恋人の若い男の子、という三角関係は、絶賛恋愛未経験中のしがない女子学生にとってはまったく想像力の及ばない、ひやりとするような別世界。

文庫本の裏表紙に書いてあるあらすじには、「ホモ」と「アル中」という、最近ではあまり聞かない言葉が書かれていて刺激的だった。(いまは別の意味で刺激的だなあとおもうけど。)
笑子が義理の父にむかっていう、「私、セックスがそんなに好きじゃないですから」というせりふも、なんだかあけすけで大人っぽかったし、笑子は「アル中」だから、作中でもいっぱいお酒を飲む。アイリッシュ・ウィスキー、コアントロー、ジンとキュンメル。聞き慣れない言葉の響き。まだしらない味。
愛とか恋とかまだほんとうはぜんぜん実感がなくて、お酒に依存する気分というのもまったく想像しきれなかった頃に、せいいっぱいの背伸びをして覗き込んでて、それそのものがもう「きらきらひかって」いるような、そんな特別な小説だった。

で、27歳という設定の笑子と睦月の年齢をはるかに超えて、久々に手に取った『きらきらひかる』の感想は、ひとことでいうと「あ〜ファンタジック」でした。
昔読んでいたころは、睦月の優しさがとても魅力的でステキだったから、笑子の苦悩とか紺くんの気持ち、笑子の友人瑞穂の感じる苛立ちがあまり深刻に迫ってこなかった。なんといっても、笑子と睦月の両親がおろおろする場面のような、もっとも現実的なところがほとんど印象に残っていなくて、ほんとうに素直に、私は笑子と睦月と紺くんだけを見ていたんだなあと。
もちろん高校生のときだって、こんな結婚生活ありえない、ファンタジー、とどこかでわかってはいたけど、でもだからこそきらきらひかる感じがしてたんだとおもうし、いつまで経っても純粋な恋愛の延長線上にあるような、おままごとみたいな彼らの甘い生活が、とても魅力的でいとおしかった。

いまになって読んだら、うーんどうだろな、睦月には、優しさよりも残酷さをかんじてしまう。たしかに優しいし、ある意味では「誠実」なんだろうけれど、やっぱりちょっとすごい。身近にこんなひとがいて、それが好きな人だったらやっぱりこまるし、情緒不安定にもなりそうだ。
それに笑子もこわい。常識的な私のつまらなさなんてすぐさま見抜かれて、ばっさり切り捨てられて、きっと友だちになってもらえないとおもう。
高校生のとき、私は笑子の理解者だったし、たしかに、親しい友だちだったのに。

いまは笑子たちの両親の反応のほうが当然だということがだいぶわかってしまって、これが年を取るってことなのか...とおもうけど。でもその反面、笑子と睦月のあいだにある「愛情」も、前よりつよく感じることができたような気もする。体の関係はなくたって、ほかの誰とも代われない、人間どうしの愛はある、というような。夢物語ではあるけれど、ずいぶん崇高なものが描かれているんだなということに、気づくようになった。
それに、こんな状況下で睦月への「好き」という気持ちを貫き通す、笑子の果敢さにも気付いて、胸をうたれる。

現実の恋をしらないころ、もしかしたらこんな世界があるのかもしれない、という憧れだった夢の夫婦生活は、可愛くて美しいおとぎ話だな、という位置づけになったけど、胸をつかれるのはやっぱりおなじ。笑子の純粋さは、こうあれたら、でもこうはいられない、とおもう、アンビバレントなざわざわを私にもたらす。

 

JUGEMテーマ:読書

久々の舞城王太郎

久しぶりに舞城王太郎氏。デビュー作からずっと大好きだけど、いくつになっても新作を見つけるとワクワクします♡

『短篇五芒星』くらいから、粗かった部分がそぎ落とされて、どんどん純化されて透き通った感じになってて。マイルドになっていってるなーとは感じていたのですが、今回はとうとうホラーもグロもまったくなく、とても純粋な恋愛小説でした。
舞城王太郎の小説に出てくる主人公は、だいたいみんな良識的でとても優しい。この本に登場する3人の主人公も、相変わらずみんな優しく、そばにいる(ちょっとかわった)人物によって気付きを得たり、影響を受けたりしてほんの少し初めと変わる――そんな3つの短編集。

高槻くんのこと好きだし、尊敬してるし、一緒にいたいけど、高槻くんが何もしなくてもそばにいるだけで傷つくよ。一緒に頑張れるようなタフな女の子になりたいけど、私、どうしても努力とかでどうにかなるとは思えないの。だって才能ってそういうものでしょ?

「ほにゃららサラダ」を読んでたら、セカオワ・サオリちゃんの『ふたご』を想起しました。『ふたご』では、彼の天才的な才能に振り落とされまいともがく女の子の苦闘が描かれていて、最後はなんとか彼の隣に座ることを認めてもらうわけだけれど、「ほにゃららサラダ」の主人公は、自分を保つために彼と別れる決断をする。「自分を諦めきれない」といって。
すぐそばにいる憧れの人の強烈な才能――特に芸術てきな――って、本当に残酷で、昔からいろいろな作品(「アマデウス」とか!)を生み出してきている普遍的なテーマですね。

私は、sekai no owariと舞城王太郎ってちょっと親和性が高いのではとおもってて、『短篇五芒星』所収「あうだうだう」で、榛枝という女の子が語る「悪はなくなる必要はないよ」「この世の一部やでやって」「悪をなくすことが善ってことではないんやで?」。これは、セカオワが初期の頃に繰り返し歌ってた事柄と同じだなって。
今回も、「僕が乗るべき遠くの列車」に出てくる主人公の虚無的な考え方が、『生物学的幻想曲』に歌われているのと似てるなっておもった。

「子孫をのこし繁殖する」
これが僕が産まれた「理由」で僕も「命のサイクル」の中の一つでしかない
それなのに僕は喜んで、怒って、楽しんで、悲しんで、死んでいく
「人類」が死なない為に僕は産まれたの?
(生物学的幻想曲/sekai no owari)

中二病って言われたら返す言葉もありませんけども(;´Д`)
でも、それでも生きる意味がなくなんてないんだ、って思わせてもらえるから私はセカオワが大好き。
舞城王太郎もそうで、どんなにグロくてこわい話が書いてあっても、きちんと筋の通った、揺るがない道徳観があることを私はどうしようもなく信頼してて、この人の本を読むたびに、それに触れられて嬉しくなるのでした。
どちらも本当は、すごく前向きで健全な精神の持ち主で、私はそこに惹かれてしまうのです。

 

そして、『されど私の可愛い檸檬』もよかったのです。こっちは家族がテーマ。

 

JUGEMテーマ:読書

永い言い訳

 

 

『永い言い訳』という小説は、私がここ数年の間に読んだなかでベスト3に入るくらいのお気に入りで、その少しあとに映画化を知って楽しみにしていたのですが、観る機会のないままあっというまに3年経ってしまった...けど、先日やっと映画を観ることができました。映画もやっぱりよかったー!

突然の事故で妻を失った男が、妻の死を受け入れるまでの、永い永い心の旅。知人の子どもたちと触れ合うなかでゆるやかに変わっていき、妻の死を受け入れて歩き出せるようになる。文字にしてしまうととてもありふれた筋書のようだけど、そこに至るまでの過程がはっとするほどリアリティに満ちていて、原作を読んでる間中、ずっと、こんな物語を書ける人はどんな人なんだろう?と思ってた。これほど広い視点をもてないと、映画を撮ったりする人にはなれないんだな、と。

主人公の幸夫は、「子供の王様」と自分で言い切るほど、自己中で独善的でナルシスト。彼の、子どもに慣れてなさからくる苛立ちとか、子どもとの距離の取り方のぎこちなさがとてもリアル。でも、子どものいる生活のディテールにも、11歳の真平・5歳の灯、それぞれの子どもたちの心理描写にも同じくらいリアリティがある。ふたりの父親・陽一は、わかりやすいキャラクターに落とし込まれているんだけど、そのぶん安定感があって、粗野で直情的でありながら、人間的な美しさがにじみ出て来るように描かれていてそちらも見事。

 

大好きな小説が映画化されると、うれしい反面、どうしてもびみょうな齟齬に胸がざわついてしまいかねないものですが、小説書いた本人が映画を作っているんだったら、安心して観られるよね! キャストのバランスも完璧でした。

小説には書かれていなかったものが映像で感じられるようになっていたり、またその逆もあったりで、小説では小説のよさ、映像では映像のよさが楽しめるなあとおもいました。3次元になった幸夫くんは文字で読んでた以上に薄っぺらかったしクズだったし。エゴサーチしてるときの目とかほんと最高です。鳥肌だよ。

 

西川美和さんは、あの是枝監督のお弟子さんだったのですね。
小説でもふたりの子どもたちがいきいきと描かれていてとても良かったんだけれど、映像になったらさらに良くて、全然演技してるように見えなくて、もう、このふたりが出ているだけで涙出ます。喧嘩のシーンとか可愛すぎて反射的に涙がふきだしました。このふたりを観るだけでも充分おつりがきそう。

全体が良かっただけにラストのシーンがちょっと物足りない気もして、どちらもよかったけれど、この物語全部が幸夫の「永い言い訳」だった、という感じが残ったのは、小説のほうかな。
私はそういうのによわいので、やっぱり小説がすき。また読みたくなってしまった。

 

JUGEMテーマ:映画

チワンのにしき

チワン族はベトナムとの国境付近に多く住んでいる中国の原住民族。チワンの女性たちが織る錦は、中国四大名錦のうちのひとつと言われているそうです。『チワンのにしき』は、君島久子さんが、現地でおはなしを読んだときからどうしても絵本にしたかったのだそう。これぞ赤羽末吉だなあ...とひと目でわかる表紙ですね。
とりつかれたように錦を織りつづけるおばばの執念もさることながら、天女が出てきたり、昔話によくある三人兄弟の要素もあったり、布を取り返しに行く道中、冒険の要素もあったりと、多彩な面白さのある骨太なおはなし。

さくら・さくらんぼ保育で有名な斎藤公子さんは、この主人公のおばばに、保育園作りに心血を注いだ自分を重ねていたそうで、同じ話を斎藤先生が製作した絵本もあります。(現在は絶版)

斎藤博之氏による中の絵も、中国の風俗が出ていてなかなか良いです。でもなぜこの表紙にしたのか...。

ちなみに、『チワンのにしき』と同じ君島さんが、絵本が出るよりも前に訳していたのがこちら

文章の流れ等を見ると、絵本版『チワンのにしき』よりも『錦のなかの仙女』とほぼ同一なので、こちらのほうが原本に忠実なのだと思います。少し説明的な部分が多いかも。
そうした説明を排し、赤羽さんの絵を加えて「絵本」という形式で成立させているのが絵本版『チワンのにしき』なようです。

君島・赤羽コンビの絵本は傑作がいくつもあるけれど、『あかりの花』は、チワン族のお隣の地域に住むミャオ族の刺繍を扱った昔話。

よくできた美しい奥さんをもらったことで、彼女の手仕事(このおはなしでは刺繍)に頼り、しだいに働かなくなる男。
日本でいうと「つるにょうぼう」に似たところがありますね。でも「つるにょうぼう」と違って、男が改心して奥さんが戻ってくるという結末は、ハッピーエンドで心があったかくなります。(昔話研究家の小澤俊夫さんによれば、「つるにょうぼう」型の結末は、日本以外ではあまり見られないのだとか。)

最後にもうひとつ。

こちらは日本の作家による創作だけど、やはり中国が舞台です。
戦争で愛する人を失ったまーふぁが、昼も夜も織り続ける世にも美しい布。最後はその布が天まで届き...。七夕伝説とも少し重なるかな。

織り物(や刺繍)には、作る人のつよい思いが否応なくこもってしまうのだとおもう。生活のなかで、長年こうした手仕事をしてきた人たちにはその感覚がきっと実感としてあって、だからこそ、このようなおはなしが生まれ、伝えられてきているのかな、なんて思ったのでした。

やかまし村で

やかまし村には3軒しか家がなくって、家のある場所から北屋敷、中屋敷、南屋敷と呼ばれてる。やかまし村に住む子どもたちは全部で6人、ラッセとボッセとリーサ、ブリッタとアンナ、それにオッレ。(途中でオッレの妹ケルスティンが生まれて7人になる)

 

『やかまし村のこどもたち』を読み始めたときには、出てくる子どもの名前が憶えられない!ってちょっぴり焦ったけど、この6人、『やかまし村の春・夏・秋・冬』を読み終える頃には、次女にとってもすっかり仲良しの友だちになっていました。
読んでる途中で、地域の家庭文庫に行ったとき、絵本も見つけたのですが、表紙に描かれている子どもたちの様子を見ただけでなんとなく、どれが誰だかわかってしまうように。

 

次女てきには、「ラッセよりボッセのほうがまだましかな〜」だそうなんだけど...たしかに...ラッセのわんぱくぶりと言ったらボッセの比じゃないですね。そんで、こんなことまで把握できてしまうのは、やっぱり物語の力ですね。

別に何事が起こるわけでもないのですが、どの章を読んでもきちんと面白く、それぞれの登場人物の個性が一貫して描かれているから、安心して世界に浸っていられる。
スウェーデンの、しかも学校まで歩いて1時間かかる、家が3軒しかないような田舎の村のことなんて、私にもムスメにも全然親しみがないけれど。
無口だけど優しい作男のオスカルに、世話好きで優しい女中のアグダ。乱暴者の靴屋にいじめられていた犬を自分のものにしてかわいがり、すっかり忠実な犬に変えた友だちのオッレ。目が見えないけど昔の話をたくさんしてくれる大好きなおじいさん。
リーサたちが親しい友だちになって毎日のなんでもないことをいろいろ教えてくれるから、干し草のなかにもぐって遊んだり、明るい夜に水の精を見るために森に入ったり、森のなかに子どもだけの秘密基地を作ってインディアンごっこをしたり、病気になった学校の先生を看病したり。そんなことを、経験はないはずなのに、自分も一緒に経験したような気持ちになってくる。
なんでもない当たり前の日常のなかに、あとから考えたら輝くような時間が閉じ込められていたりするんだけど、でもそのときは精一杯楽しくて。だって子どもだから。

特に私は、子どもたちが橇で遊んでいたらお父さんたちが来て、貸してもらって遊びまくる話が好きで、げらげら笑ってしまいました。このお父さんたちも子どもの頃からこの村で一緒に育ってきていて、見た目は大人になったけど中身は小さいラッセやボッセなんだなと思えて。
そういえば、リーサたち女の子チームは、大人になってもやかまし村でみんなと一緒に暮らせるように、微笑ましくもそれぞれの結婚相手を勝手に決めているんだけど、やかまし村にい続けることが目的だから、男の子たちの思惑とは微妙に食い違っていて、はてさて、将来どうなるのかなとおもったり。

それと、リーサが、お隣の家に住むブリッタとアンナと、窓からロープを通してタバコの箱で手紙をやりとりする場面がときどき出てくるのですが、これは『ロッタちゃんのひっこし』に出てくる、かごに食料を入れてやりとりするという憧れのシステムに似てるのでわくわくしました。誕生日に自分だけの素敵なお部屋をもらうというのも素敵すぎで、次女も羨ましかったみたいで。これも、私が愛する『ロッタちゃんのひっこし』みたい。

書きだしたらきりがないくらい、やかまし村での日常はどれも同じくらいの質量をもって輝いてて、私は大人だけどリーサに子どもの仲間入りをさせてもらえて、そうだね、読書ってそんなことも可能にしてくれる。だって私たちはもう友だちだからね。

 

JUGEMテーマ:児童文学

バーナード・ウェーバーのこと

バーナード・ウェーバーはアメリカ出身1924−2013年。あの「ライフ」誌のデザインを経て、1961年から絵本制作へ。

大好きな絵本作家です。絵本としては少し長めなので、団体での読み聞かせには向かないかもしれないけど、面白いので長さはあまり気になりません。

 

有名なワニのライルのシリーズはムスメたちも大好き。全部で8冊あるけど、シリーズはどれをとっても面白くて、しかもどこから読んでも大丈夫。

ライルは言葉こそ喋りませんが、家の仕事もできちゃうし、子どもの遊び相手も大好き、人を楽しませることも大得意、心の優しいハイスペックワニさんなんです。こんなワニさんが自分の近くにいてくれたらなあ、と、子どもたちは思うはず。(私も思う。)

 

私は『ワニのライルは会社のにんきもの』が好きです♡ お父さんのプリムさんの会社に行ってお仕事を手伝い、ライルはここでも人気者になるのですが、あれこれあって、お父さんが会社をクビになり...。そのときの家族みんなが支え合う様子にも心が温かくなります。

 

まさに、他人の幸せが自分の幸せ♡な心の美しいライルですが、こちらのおはなしでは、誕生パーティーをしてもらうジョシュアくんを妬んでしまうという人間らしい一面も見せ、ますます身近に感じてしまいます。(そのときのライルの悪い顔!)

 

『アイラのおとまり』は、初めて仲良しのおうちにお泊まりすることになった子どもの揺れる気持ちを描いた本。お泊まりといってもお隣なんだけど。

お泊まりは楽しみ。でも、赤ちゃんのときからずっと、ぬいぐるみのくまちゃんなしで眠ったことがない。でもそんなところ友だちに見せられない...。日中から、くまちゃんをどうするか迷い続けるアイラのお話で、この気持ちに共感する子はたくさんいるだろうなあと。
はちゃめちゃに遊ぶアイラとレジーの姿も可愛く、ただ遊んでるだけなのになんだか涙がでちゃう。優しい両親やちょっぴり意地悪なお姉ちゃんとの掛け合いも魅力です。

 

こちらも次女が大笑い。
一人称で書かれているのがちょっと変わってますが、お母さんの視点から、「息子のアーサーはこんな子です」形式で語られるアーサーくんの日常のお話。言葉の綾が気になったり、好き嫌いしたり、部屋を散らかしたり、何回も忘れものを取りにきたり...、思いっきり子どもらしいアーサーは、(食べるのはアリだけど)まるで子どもたち自身のよう。
何度も手に取りたくなる本たちです。

幽霊を見たいのなら、見せてあげる

戦争や災害時などにデマで人が殺されるという歴史的な話も聞いて育ってきているし、いまはフェイクニュースとかよく聞くから慎重にならなきゃなとおもうし(でもどうやって? 情報の多さにリテラシーが追いつかない)、まことしやかに広がる嘘は、人がどこかでそう信じたいと思っていることの表出でもあるようで、いつだって人間とは切り離せないものみたい。
そのようすが、こんなふうに書いてある。

嘘は炎に似ていることをフェイスは知った。最初は、世話を焼いて養分を与えなければならない。それも、注意深くやさしく。生まれたての炎はかすかな吐息にあおられるが、強すぎると消えてしまう。嘘が根づいて広まり、興奮とともにはぜるようになれば、もはや薪をくべる必要はなくなる。けれども、それはもう、自分ひとりの嘘ではない。ひとたび命と形を得た嘘を、支配することはできないのだ。

年末のお休みに、やっと読めた『嘘の木』。噂にたがわずとても面白かった。
嘘を広めることで木が育ち、その果実を食べることで真実を知ることができるなんて。なんて独特な発想なんだろう! 嘘で育った「真の実」。父の秘密。自殺とされた死の真相。謎の植物。これだけでも、もうわくわくします。

ヴィクトリア朝時代の風俗や雰囲気も魅力的で、そんな時代を背景に、科学的知識に貪欲な女の子が、たったひとりで悪に対して奮闘する、とても骨太な物語。ストーリーも起伏があって見せ場もたくさんあるし、嘘の木の実を食べて垣間見る「真実」の描写もとても映像的でスリリングだし、映画になっても面白そう。

クライマックスでのフェイスはなかなか激しいことをしてみせたりして、そんなところも映画的(ようするにちょっと非現実的)なんだけど、私は、少女から大人になりかけているフェイスが、女であることを最大限に利用する母親を少しずつ理解していく過程と、ふたりの関係が変化していくようすがしっかり描かれているところに好感がもてました。

これは闘いなのよ、フェイス! 女も男たちと同じように、戦場に立っているの。女は武器をもたされていないから、闘っているようには見えない。でも、闘わないと、滅びるだけなの。

冒頭から、おしゃべりで見栄っ張りで薄っぺらな女の人みたいに描かれる母親の印象が、最後には変わるのがここちよいです。この時代も女の人は生きづらそうだけど、ここに登場するいろいろな女性たちの姿を通して、どんな時代も強かに生き抜く術を見つける女性の強さも感じる。

フェイスがつく嘘、フェイスの父親がついた嘘、村の人々がついた嘘。
たくさんのいろんな嘘が出てくるけれど、たぶんどれも、聞いた人が信じたくなるような「何か」をもってる。またははじめから、人々の心のなかに、「もしかしたら」と存在していたことなのかも。嘘って、いい嘘も悪い嘘も、「人が信じたいこと」を指すものなのかもしれないなあ、とおもった。

それ自体が壮大な嘘である、この物語を読みながら。
楽しい。

 

JUGEMテーマ:読書

年初め

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↑ はじめて見る生 結浜なのである♡

年が明けてすぐ、家族で旅行に行ってきました。
大阪城に行き、USJに行き、アドベンチャーランドに行き、そして最後は清水寺まで行ってきました。スマホの歩数計のカウントがどんどん上がっていき、私は痩せたはずなのに痩せてない(おかしい)。

メインイベントは、なんといってもアドベンチャーランド。
パンダの繁殖で目覚ましい成果を上げている動物園で、上野動物園の陰に隠れてあまり目立たないけど、パンダ好きには聖地のような場所です。しかもいま、8月に生まれたばかりで、名前も12月に決まったばかりの、赤ちゃんパンダ「彩浜」がいる。
和歌山はあまり縁がなく、9年ぶりになったけど、えいやっと気合を入れて行ってきました!

40分くらい並んで拝んだ彩浜は、残念ながら、ずっと微動だにせず寝ていましたが、いまはほかにも5頭もパンダがいます。若いパンダが多くて、ふたごのお姉ちゃんパンダ桜浜・桃浜や、2才の結浜の、活動中の姿を好きなだけ見ることができて、ぁぁ最高☆☆
結浜は頭のてっぺんに、つのみたいな、つんつんした逆毛(?)が立ってるので簡単に見分けがつきます。生結浜に生つんつん・・・良い年初め・・・。
彩浜の姿を見るまでの行列に並びながら、まるで一般参賀みたいだなと思いつつ、今年もがんばろうっておもいました。家に帰ってきた翌日に、次女がインフルエンザを発症するなどとは夢にも思わずに...。

インフル騒ぎもやっと収束し、あらためて、あたらしい気持ちで生活しています。